ブログ考 (2026_09_27)

何から始めるか。前の記事を書いたのは4年前。
そもそも世の中の状況がここ数年でまるで変わってしまった。

わからないことはGoogle検索では無くChat GPTやGemini、Claudeに何でも聞ける。
文章も画像も動画でさえも、生成AIで簡単に作れてしまう。

そんな中、個人ブログから得られる情報って何だろう。
このブログでは画像も文章も自前で作っている、けどそこに特別な価値はない。

一方で、ネットで調べられないことはほぼ無くなったが、出てくる情報は均一化し、誰もが皆同じようなソースから同じ情報を共有しているに過ぎない。(まあそれはGoogle検索の時からそうかもしれない)

逆に、ネット上に無い情報の価値は高まるばかりだ。


このブログは、記事を読む際に表示される広告で得られる収入や、記事のネタにもしているストックフォトでの収入を何となしに見込んで適当に始めた代物だ。

今はそのどちらも下火になっており、今更そんなことを調べにこのブログを訪れる人も少ないだろう。

だったらテーマだけ決めてAIに書かせても同じなのでは、とも思うがそれはしたくない。
では、何を書くのか。

一先ず、自分はAIについてはそこまで懐疑的なわけではないが、AIを使って得られる成果物、特に画像や動画、テキストについては、単純にあまり面白味を感じていない。それは何故なんだろう?


理由の一つとしては、そこに作る側の責任や過程が伴っていないように見えるからだが、もちろん全ての成果物がそうとも思っていない。人が作ったものの中にだって誰でも作れるようなものや無責任なものは沢山あるし、AIを使って作り込まれた素晴らしい作品もあるはずだ。自分がAIのことをただ知らないだけで、使い続けてみないとわからないことも沢山あるだろう。

そもそも、制作の前提から変わってしまっており、現在進行形でどんどん変わっていっているため、それらも踏まえつつ、人とAIそれぞれの「作る」について掘り下げてみたい気持ちがある。
変わらないこと、変わってしまったこと、これから変わっていくかもしれないこと…


などと考えていたら、ロニー・チェンというコメディアンの行ったハーバード大学でのスピーチをたまたまYoutubeで観て、なるほどと思った。それは、スピーチの割と序盤で彼が熱弁している「創作という一番楽しい行為をAIに奪わせるな」という部分だ。対象はともかくとして、何かを作ったことのある人であれば、恐らく皆が「それだよ!」という気持ちになったのではないだろうか。「作る」と言う行為は、本来とても楽しいものなのだ。

いや、何だろう。もはやそれも踏まえての別の楽しみ方が「作る」には存在しているのかもしれない。それが何に対しての喜びなのか、今の時点では正直よくわからないが、このモヤっとした気持ちをそのままぶつけていくことにする。

そのためには、AIを実際に使ったり、もしくは真逆の方向性の「作る」を実践しながら、それらの共有をこのブログ上で行っていく。AIの是非はともかく、これからの時代において、実践として経験を積み重ねていくことが、個人にとってますます重要なものになっていくのだから。