英語学習を自分なりに再構築する

英語学習について、長らく自身のモチベーションが上がらない状態が続いていたが、仕事の幅を広げていくためには結局必要と判断し、約5年ぶりに学習を再開してみる。

英語学習とモチベーション

まず、なぜそもそもモチベーションが上がらなくなったかというと、目標のゴールにTOEIC900点を据えてしまったからだろう。ある程度のレベルを超えると中々成果が上がらず、思うように点が取れないことでモチベーションも下がっていくという悪循環に陥り、最終的に学習を止めてしまった。

TOEICである程度点を取るのは確かに簡単だ。しかし、そのことで自分が英語を使えるようになったという実感は乏しい。今回の学習は、まず英語を理解してきたなあという実感を先に持つことを目標とし、その結果としてTOEICなどを受けてみたら点数が取れた。という流れで行きたい。

英語学習を続けるにあたって、一番大切なのがこの実感だが、漫然と続けているだけでは得られないし、かと言って続けていないとそもそも得られないし、といった厄介な代物だ。学習という領域全般に言える話だとは思う。以前の英語学習についての記事も読み返してみたが、やはり学習意欲の継続と習得の実感のところでつまずいているように感じた。点数を上げているだけでは習得の実感が得られず、結果として点数すら上がらなくなる。『自分は何のために英語を学習しているのか』、当たり前だがモチベーションはそこと紐付けた方が良い。

英語学習についての身もフタもない結論

ではどのようにして、その習得の実感とやらを体験していけば良いのだろう。英語の習得についてはいろいろ試してはみたが、基本的には空き時間を英語学習に充てることを常態とし、その生活に長い時間をかけて取り組むということ以外に上達は無いようだ。残念ながら、本当にこれしか無いようだ。語学の習得に裏技のようなものは存在しない。

半年間ほど(個人差あり)、一心不乱に空いている時間を英語学習に注ぎ込んで、ようやく業務で英語を使用できるようになる、といったところだろうか。この場合の業務って、一体何だろう?人によって目標とするレベルもジャンルも違うだろうに、共通の学習方法もクソもあるだろうか、と書いていて急に虚しくなるが、実際にこれからの自分の取り組みを一つの事例として示していくしか無いようだ。

暗記では無く、ある程度の時間をかけたことで初めて超えられる習得の壁のようなものがある。「慣れ」という言葉が一番近いのかもしれない。英語を身に付けるためには、結局は英語そのものの習慣化しかないということだ。

これからやること

自分は少なくともこれから半年間の間、空いている時間に英語を注ぎ込む、という時間の使い方を実践してみようと思う。今のところ空き時間にやることは『Duolingo』という英語アプリと、『Grammar in Use Intermediate』という外国の小学生向け教材しか決まっていない。この程度では一心不乱とは言えないが、今後もどんどん追加していく。具体的なスケジュールも含めて別の機会に書いてみたい。