走ることについて

  • 2017.10.17
  • 更新日:2019.12.07
  • 身体


走るようになったのは去年の終わりからだ。

若い頃からの適当で自堕落な生活が祟って体の調子が悪くなってきたことと、自身の体に対してもっと知りたいなと思い始めたタイミングはほとんど一緒だったと思う。

以前書いた呼吸に関して試し始めたのが、個人的な行動としては最初のものかもしれない。それまでも山に連れ出してもらったり、何が自分の体にとって気持ちがいいことなんだろうっていうのは考えてはいたのだけれど。

きっかけは村上春樹

走ろうと思ったきっかけとしては、自分でも意外過ぎるのだが、村上春樹の
「走ることについて語るときに僕の語ること」というエッセイを読んだからだった。

正直、村上春樹の小説は全く好きではなく、高校生の時に流行り物として当時の作品はほとんど読んだものの、いまいちピンとはこなかった。それなのに何故このエッセイを手に取ったのか・・、これも多分本屋で特集でも組まれていたのかもしれない。何度か本屋でパラパラとめくって、それでも買わずに迷っていたことはよく覚えている。

ある時思い切って買ってみて、しっかり読んでみると、小説とは少し違った村上春樹の素に近い文章に好感を持った。ちょっとくどい言い回しは時々あるものの、走ることに対して誠実に書く、という気持ちが強く伝わってくるものだった。それどころかこの本は、自分が何となく落ち着きたい時に読み返す本にさえなってしまった。そして、走ることに興味を持った。

何となくフルマラソン出場

そこからは何故かトントン拍子に走る方に向かっていく。妙な縁で、年末のフルマラソンに参加することになるのである。それが去年。しかし今思えばこの行為はチャレンジとは呼べないほど無謀なものだった。件のエッセイを読み終えたばかりで、早く行動に移したかったのだと思う。

それまで全くまともに走ったこともないくせに、いきなりフルマラソン。別に軽くやれるとも思ってはいなかったが、走れる気も全くしなかった。一先ず、毎日空いている時間を使って走り出す。それでも働きながらだとせいぜい3km、最初のころは1日の走行距離が1kmなんてこともざらにあった。

経験者の言葉を信じて、とりあえず10kmまでは走れるようになっておこうと奮闘はしたものの、本番前の最長走行距離でさえ12kmだった。それも1回。圧倒的に用意が足りていない。

結局本番では26kmあたりで膝がおかしくなり、30kmからは膝を引きずりながら歩いてゴールした。悔しいという思いもあったが、ようやく始まったぞ、という変な確信みたいなものが生まれているのも感じた。それからは、毎日は走れないものの、毎月何がしかの大会にはエントリーしている。10km、ハーフ、何でもいいから走ることを日常にしたいと。

何故走るのか、は実はまだよくわからない

走ることだけは、他のスポーツや登山とも違う、何か自分の中を浄化してくれるような作用を感じている。それが何なのかまだはっきりとは分からないが、一つだけ言えるのは走ることはとても「シンプル」だということだ。そしてそのシンプルさを、分かりやすく認知できる。

荷物が無くても始められる、体が疲れてきたら止めればいい、走ることを続けるということ以外特に何も考えなくていい。走ること以外に目的が無い、その限りなくシンプルな時間が、とても心地良い。それは、自分の体の声を聴いている時間のようなものなのかもしれない。

なので、走るときは出来れば止まる必要の無い川沿いなどがベスト。自分の場合は特に音楽も必要無いかな、まあそこは自由だ。

さて、いよいよ今年も去年出たフルマラソンの日取りが近づいてきている。今年はせめて完走したいけど、何が起きるかは分からない。せめて天気が良いことを祈りながら、日々準備を進めていこう。

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